the pillows

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土曜は散々だった。

動物園行く気満々で早起きをして、シャワーを浴びるついでに顔そりのカミソリのキャップを開けた拍子に一緒に指が切れ、止血処置で1時間ロス。

まあ大丈夫やろと動物園行って楽しんでいたらピロウズが解散を事後報告しており、私は「指痛え」「でも動物かわいい」「いやピロウズ悲しっ」「動物〜」「指いっった」「いま傷口開いたっぽい」「動物かわいい〜」「ピロウズ ナンデ」と喜怒哀楽を反復横跳びすることになった。

一人で行ったのでその場で誰にも言えることなく情緒がおかしくなっており、夜は予約していた美容院でめずらしく美容師にグチった。ごめんな美容師ネキ。いつもきれいにしてくれてありがとうな。

いまは心の傷よりも物理的な指の傷がかなり痛いのだが、それはそれとしてピロウズのことを考えるほどに私ってこのバンドがなければ今こうやって生きてないな、と思うのだった。


出会いっていつだったか。

以前も「42枚」アルバムをチョイスする記事でピロウズを挙げた際に書いたのだが、多分中3くらいの時に「雨上がりに見た幻」のMVがスペースシャワーTVで流れていたことが始まりだった。

当時私は音楽チャンネルをザッピングしたり深夜ラジオを聴いて、気になったバンドをYoutubeで調べて聞くという行為にハマっていた。ピロウズは単純に楽曲のテイストが好みで、BUMPのハイブリッドレインボウカバーだとか、すでに好きだったアーティストとの繋がりを知り、聞く範囲を広げていた。

バンドそのものの応援にめちゃくちゃ熱が入っていたわけではないが、やはり曲は聴き続けていたし、ライブを観に行ったこともあるし、のちにV6にハマった後もレーベルメイトきっかけで楽曲提供された意外な縁を感じ、生活の中にいて当たり前の存在だったと思う。

それは音楽ファンとしてのピロウズとの向き合い方なのだが、じゃあなんで「いなくちゃ今がないか」と言われると、私自身の活動の話になる。


高校生になり、自分でも弾き語りをするようになって、趣味でエレキギターも買った。それこそ真鍋さんとお揃いの白いレスポールが欲しかった。最終的に黄色のレスポールになったけど。

高校を卒業する前に、同級生がピロウズのコピバンをやらないか声をかけてくれた。

Aくんとしよう。Aくんは隣のクラスの人で、全然楽器弾く部活にいなかった(けど個人でベースを弾く。それすら知らんかったけど)。私もまた、アコギの弾き語りをする部活でバンド経験はない。

確か共通の友人を通してお互いピロウズ好きだとは伝わっており、たまに顔を合わせる機会はあったかもしれないけど、授業が一緒になって話したり遊ぶようなことはあまりなかったと思う。どんな感じで言われてどう返事したかまでは覚えてないけど、意外な誘いだった記憶はある。

そこから軽音部の同級生と後輩も参加して、卒業記念の出し物イベントのためにコピーバンドを組んだ。消去法で自然に私がギターボーカル。ギター2人が女子、ドラムとベースが男子という尖った男女混合バンド。持ち時間30分をフルに使い、ろくにMCもせず、7曲歌ったはず。

特にずっとやってくとかは考えてなくて、どうせ就活あたりで空中分解だよねなんて話していた。

でもその後も軽音部繋がりのライブに出させてもらい、そこからさらに他校出身の先輩後輩との繋がりもでき、またいろいろ出させてもらって、最終的に或る感覚という私が好きなバンドのコピバン前座オーディションみたいなのに参加して受かり、下北でライブをしてちゃんと就活を理由に空中分解した。この件はネット記事になっており、アー写(笑)のつもりで駅前で撮った4人の自撮り写真がまだネットの海を漂っている可能性がある。

普通に2年くらい続いたのも意外だし、たまに私の部活の友人を巻き込んでキーボード入りの5人編成になったりもして、結構ちゃんとやっていた。

なんか、バンドをやってみたところでメンバー同士別に心を開き切って仲良くなるみたいなことも別になくって。そもそも多分全員が人見知りで普通に生きてて友達になる属性でもなかっただろうから、不思議な感じだった。

BBQとか打ち上げとか、大学生みたいなイベントをやったりもしたし、ギターとドラムと3人でご飯食べにいったり…って機会はあったけど、ほんとに私とAくんに関しては二人きりになると全然喋らなくて、たぶん別に友達スタートでもないから距離が掴みづらくて、思想(※ニュアンス)も強いし、ほんの少し同族意識の遠慮があったんかな〜と、今の私の一方的な感覚では思うのだけど(これは私の変な遠慮のせいで相手が気まずかったんちゃうか?という懺悔です)。まあ、この話は置いとくとして。

つまりあくまでもピロウズという共通項が前提の仲間だったように感じており、そこから少しずつandymori、フジファブリック、TRICERATOPSとカバーの範囲を広げていき、音楽のみで対話していた気がする。

多分誘ってくれたAくんが私に期待した働きは50%も満たせてなかっただろうし、おもったよりも演奏も歌も下手でみんなに迷惑をかけただろう。

私がもう少し積極的で上手いプレイヤーだったら、ほんとに曲を作ってちょこっとだけライブ続けて、マジで衝突して不仲になってちゃんと解散という形をとるようになっていたかもね、とも思う。あとの全員がマジで、上手かったから…。私がプロデューサーなら、新ボーカルギターを発掘して交代させています!涙 というくらい、いいメンバーだったな、と思う。

オリジナルね、私が恥を振り切れずに変な暗い曲しか作れなくて、なんなら他の楽器の知識もないから、パートの作り込みも丸投げになってしまい申し訳なかった。しょせん、私は学生コピバンにも満たない才能だった___

しかしながら私はこのバンドをやらなかったら多分、陽の光を浴びて大学生みたいな遊びをやらなかっただろうし、音楽事務所で働くモチベもなかったと思う。自分がプレイヤーになる経験っていうのは得難いし、弾き語りで孤独に戦うよりはずっと楽しかった。間違いなく遅れてきた青春だったと言える。

だからピロウズは間接的に私の人生のレールを作ったと言っても過言ではない。という、そういうことを、解散発表後、動物園から美容院へのハシゴして帰ってきて、布団の中で考えていた。

なんかもう曲に救われたとかの次元じゃなくて笑ってしまうよね。あなたがたの存在が縁を繋いでくれましたよ。

私は現在、Aくんに数冊のバンドスコアを長年にわたり借りパクされているままなので、いつか返してほしいよな、とたまに思い出しながら、またピロウズを聴くのでしょう。

それはそれとして、わりと返してほしいのだが、まあなんか、全員元気にやっていてね。私はめっちゃ今指をケガしてるけど。カミソリにはマジで気をつけようね。私なんだけど。気をつけるべきは。

pillowsのお三方、35年にわたるバンド活動お疲れ様でした。ソロや他のプロジェクトでまだまだ活躍する姿が見たいです。

おわり

↑バンドの十八番でした。絶妙にカッコよくて盛り上がり、絶妙に誰も知らないライン。今の高校生はピロウズをやるといいよ。

なんか前にかいたやつ。なにこれ。