これから家庭崩壊するお前らへ

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一応胸糞悪い話ではあるため注意。

タイトルの通りではあるものの、私や弟の自我がしっかりしている成人直前〜高校のうちに完全崩壊したこともあり、そこまで泥沼とはならず、むしろ清々としている。

大したアドバイスにはならないかもしれないが、モメごとが佳境を迎えた際の流れを伝えようと思う。

前提

●以前の家族構成は両親+三姉弟である(私が長女)

●原因は両親の不仲と子の不協力、決め手は母親の不倫とヤケクソ家事や暴言
元凶を作ったのは我々ガキが変な所でずる賢さを持っていたこと、それを加味して育て方を誤った等さまざまな相性の悪さが祟ったと推察する。
実際、コミュニケーション内で親が子供をバカにする=子供は煽り返すスキルが高くなって親をキレさせるという最悪なループが生まれていた。
また、家事を手伝おうとしても怒られるので放置しちゃって習慣づけられなくなった等、煽りについては母親特攻でしかないものの、後者なんかは今生きてても弊害だな〜と思う悪癖だったりする。

●私の母親嫌悪について
簡単に言えば束縛と放任が極端すぎて接し方の正解がわからない。私も私でピンクが嫌い・写真に写りたくない・旅行が嫌、といったこだわりの強い傾向を我慢できず駄々をこねがちで、親もその性質に理解はなく口論が絶えなかった。当時は軽度な発達障害への理解は今ほど進んでいないため、その点は親が悪いと思っていないが、口論が多かった事は事実で、確実に影響している。また、他の子供より言葉や読み書きしたりタイピングを覚えるのが早く、記憶もわりと今も残っていたり、いわゆる”聡い子”タイプのガキだったのも母の期待した「純粋さからくるポンコツなかわいげ」を削いだと推察する。早い段階で嫌い合っていたように思う。

●母親からの主な被害と影響

すまん、長い前置きは続く。どんだけ母親がバケモンだったかという前提が以下になる。

1.束縛と放任のバランス崩壊

幼稚園の時。クウガの絵本を許し、ウルトラマンの視聴も許し、ネットも一切の規制なく自由に使えるが、防災頭巾やお道具箱といったものやヘアゴムはピンク色やキティちゃん、髪型もツインテールを強制された
小学でもちゃおやりぼんしか買ってもらえなかったが、ある時ジャンプに統一することに成功したタイミングで諦めが発生したと思われる。
ただ、ゲームは全く買い与えられないのにお下品な漫画やflashゲームが豊富なネットを与えたことが敗因だと気づいてるのだろうか?目の前で堂々インターネットでよくないもの見ても注意されたことがない。わからなすぎる。絶対におもしろflashよりポケモンの方が教育上マシだろ。
これは教育にリソースを割かず単純にガキをおとなしくさせるための娯楽の金をケチっただけ説が濃厚。
しかしこの経験によって人の顔色を伺うことに必死だったりビクビクするような感じには育たず、自分の意見を言うことに意味を感じることはできた。その代わり人に頼ることや見返りの期待=信用はできなくなった。今も人から何か褒められると得体の知れない不快感が込み上げることさえある。後述のことも含め自己肯定感は低くなっているのだろう。

2.貧乏だから、と不安にさせることを言う

このせいで常に“いつまで今の家に住めるんだろう”みたいな不安はつきまとっていた。実際のところは少なくとも全員高校以上の学歴は持っているし、普通に習い事や部活、毎年の旅行に行かされた程度になんとかなっている。
あの言動は大人になってもマトモじゃないと思う。経済不安が”事実”なら子に正直に”明かすこと自体”は大事かもしれないが、そうでもないのに極度に恐怖させるようなことを何故嬉々として言えるのか理解に苦しむ。

3.常に父親の悪口、離婚チラつかせ、外出先で喧嘩

主に母親と会話したくなかった原因。そもそも両親とも義務的にやってるだろう家族サービスの時間が本当におもんないし不快で苦痛だった部分はある。興味のないバトルが延々に車内長距離長時間移動というストレスフルの環境で繰り広げられていた。
この関連で言えば、毎年きっと親の年賀状に使うのであろう似非の家庭円満写真を撮られることを察していたため、写真撮られることも嫌だった。おかげで私の小〜中時代の写真がほぼ存在しない。ちょっと困っている。

4.謎の学力マウント

テストで満点取ったことを報告するとなぜか不機嫌になり、なぜか鼻で笑われていた。なぜ子と頭の良さで張り合おうとするのかわからない。何回か繰り返された結果、ダルいのですぐに自分から勉強や学校の話はしなくなった。

5.幼稚園のお迎えを井戸端会議で1時間以上遅刻

わりと大事件。いつも徒歩通学なので混ざったことのないバスお迎え待ちの群れに混ざってトトロを見て不安を紛らわせながら、「親から愛されていないんだろうな」「ていうかこの大人…カス?」って悟ったので、だいぶ早い段階で家族というものを愛せない感性が身についてた気がする。確か先生も呆れてた。

6.子の写真や名前を勝手に使ってHP作ってた

今の時代の子供じゃなくてよかったと本当に感じる案件。インスタがあったら私の許可なく私の個人情報ばら撒かれてたのかも。SNSが普及する前のホームページビルダー製ショボサイトだったし本当にサーバーのことなどを理解してインターネットの海に放たれていたのかは謎。前述のトラブルを経験したあとなので”見栄の道具にされてるな”って思ってた。せめて写真にモザイクかけてほしい。

7.(ざっくりいうと)性的被害

高1とかだったか。いつも乗るバスにいるおっさんに電話番号+「いつも笑顔が素敵だね」と添えられたメモを突然渡され、その後数日にわたり声をかけられる(実はメモ渡され以前にも挨拶の声かけはされていたが気づかず無視していた)事件が。
念の為警察に相談しよう…となり、付き添いで来てもらう必要があったので事情話したが最後。お母さんはこんなことされたんだよ、とまさかの痴漢実演開始。股ぐらを触られそうになって本気で手をはたきました。声かけメモ渡しキショおっさんよりよっぽどなことされた。これって性犯罪じゃないですか?
まさか女性的魅力の強さを被害の度合いで考えてマウントを…?本当に信じられない行為だった。
結果この時バスの時間を変えて対処したのだけど、後日「アンタにつきまとってたおっさんにガン見された!似てるから?w」ってキャッキャと報告してきたのもキモかった。
この時、不審者事案に加えて同級生の女の子からも変なつきまといをされていたので、本気で女性嫌悪が悪化した。一番嫌で許せない記憶かもしれない。

8.産んだ子供に対しての信じられない暴言

離婚間際に「お前はあの男(父)にレ●プされて生まれてきたレ●プ犯の娘」などという衝撃の事実を言い放たれた。実母から「レ●プ」という単語が飛び出すの、パワーがある。そうだったんだ。もうこの時には呆れしかなく、ついに娘の尊厳を産んだ本人自ら破壊したため、言質取ったよ?と言わんばかりに離婚の後押しを全力でしました。この辺が後述の話につながります。私が母親と会話した最後のほうの上澄みの記憶。多分「最低だな?」って言ってその場を離れた気がする。

7、8のインパクトがキショすぎると思う。ごめん。ただ、私はこれらを通って今を生きているので事実として記す。恨んじゃいねえけど許さねえからな。

余談:父親ってどうなん?

教育に干渉しようとしなかった(したくても時間を作れないような仕事をしてるのもあるが)というのもあり。基本なんか悪いことした時に出てきて体罰を振るうヤベーやつくらいの認識になってしまっていた。

毎年のように旅行に連れ出されたり毎週買い物や公園に連れ出されていたものの、まともに話したのは離婚前後。

こっちもこっちで細かく問題がある人間だと思うがおおむね常識はあり会話ができて金銭的な援助を求められるのでそりゃこっちに付くだろ。本当に義務だけは全うしていただいた。学費とか。それで十分だと思っている。

こんな感じで生まれた子供含め私たちは全員、おそらく最初から家族ではなく個人だった。

私は今どうにか一人暮らしだが(それまでまた色々あったが割愛)、母親の連絡先はもちろん、弟の連絡先も知らない。LINEグループなど存在しない。(父弟間には存在しているらしいが入りたいとも思わない)父親とは事務的な話で稀にSMSでやりとりするため電話番号のみ知っている。

そんな絶望的に家庭に向かない人間が同じ屋根の下に住んで家族というロールを強要されたら、まあいつか崩壊するよねとしか思えない状況を小さい頃から感じざるを得ない。起こるべくして起きた事故だろう。

一応今回の敵は母親になるものの、母親自身も機能的問題を抱えていた可能性が高い。これはあることを理由に精神科への受診を勧めた際の激昂から確信に変わったが、一概に狂人(くるんちゅ)とも言えない部分がある点は留意頂きたい。

さて、長い前置きが済みました。

●崩壊時の話

積もり積もった怒りが方々で爆発し、いよいよ共同生活が苦痛でヒリヒリした生活が続く中、「終わらせるため」の準備をしよう、とめったに会話もしない弟と初めて団結したのは覚えている。

ただこの辺の記憶は、申し訳ないがとても曖昧である。学校のことは思い出せるのに家庭のことはなんか、ふわふわしすぎていて覚えられない。当時確実に高3〜専門生なりたての間くらいだったと思う。流れは曖昧だが部分的に覚えていることを書く。

不倫を突き止めたのは私たち子供だった。

当時mixiが息をしていたと同時に、なんでもかんでも写真を撮る行為がマナー的に問題視された時期でもある。母親ももれなくガラケーでの写真撮影に取り憑かれていた。その辺に必ず粗があると確信し、決定的な誹謗中傷や権利侵害になりそうなネタを探そうとした。終わりのガキすぎるだろ。

Twitterには連絡先検索の機能があって、愚かな母親のアカウントは秒で見つかったのだった。出るわ出るわ、見覚えのある玄関の写真や施設の写真が。あまり中身は覚えてないが、遡るとキッッッッッッッッッッッッッッッツいポエムが。あなたへの愛は深海より深いみたいなことが。キッッッッッッッッッッッッッッッッッッツすぎて弟と爆笑した記憶がある。

どうやら不倫しているな?なるほど、相手と共同で怪しいビジネスやろうとしてるな、離婚、本気で望んでるな…?都合いい!破滅上等!

もはや不倫にショックなど抱くわけもなく(倫理観の欠如っぷりは上記の性被害などで重々わかっていたため)勢いで魚拓やスクショをふんだんに抑えたのち本人凸、本人激昂(この時に例の暴言)、しれっと垢消し逃亡、そっからとんとん拍子に離婚に至った。私たち姉弟どもは、裏でそういった情報収集と証拠になりそうなものをひたすら押さえておいた。(出番はなかったが)そして、親の双方にさっさと離婚してくれという意思は伝え続けた。

出て行く時も何も言わず、ある日急に消えてくれていたのでその時の安心感たるや、言葉にならない。勝った、と思った。おそらく母親もこれできれいに見切りをつけられたことだろう。勝手にやってろ。

多分示談的な方向でまとまったんだと思う。裁判とか弁護士みたいな不穏な気配はなかった。親父は親父で多分生活費とか数年間は向こうに払ってた気がするが(向こうは不倫相手いるのに?)どちらにせよ親権のケリがついた被扶養者のガキが介入する余地はないので、それから今まで母親に関する話は無である。

ちなみに許さねえ〜ってことはいくつかあるけど、二度と会いたいとは思わないし報復したいとかも特にない。キショいことされただけなので、キショいのからは離れた方がよい。

●まとめ

証拠を押さえたこと自体に効力はなく(キショポエムじゃ不倫の証拠にならん)、油断をガキという死角から小突いた結果スピード勝負に持ち込んで勝てたというだけ。あと、目指してるゴール(離婚)はみんな一緒だった

そしてこの結果に対してもうひとついえることがある。

互いが突き抜けるほどカスであれば泥沼は避けられる。

多分親父は一般家庭の子供として離婚が悪影響とか考えて長年渋ってきたのかも知れないけど、子供当事者は「いけ」「やったれ」とプロレス観戦してるかのようなカスの姿勢だったからなんともいえないのである。
それで言っても親父が求めていたのは結局”体裁”なんだし、因果応報だ。誰も家族というまとまりに対する愛はなかったとしかいえない。
そうやって”家族”という概念への愛着がそれぞれ希薄だったからこそ「早く終わらせたい」「離れてよかった」と強く思う結果になったのだろう。必要なのは行動力とスピード。

●これから家庭崩壊するお前らへ

家族模様はさまざま。愛着もさまざま。私以上に情のない考えの人もいるだろう。離婚させるにせよ止めるにせよ、まず自分が家庭にどういう想いを抱いているのかを明確にしてゴールを決めると多分やるべきことは見えてくると思うから、頑張ってほしい。第一に「自分の幸せ」の優先度を下げないことも念頭に置いてほしい。あと、仮に汚く崩れたとしても、二度と家族のコミュニティに戻れなくても、なんとなくやっていける。私が生き証人。生きてれば勝ちなので。

おわり