初手から曲貼り付けてすみません。私はこの曲を脳内BGMにしてこれから長文をしたためます。
私の言いたいことを本当にすべて端折ってまとめると、おおよそこの曲と同じものを彼らから受け取った、ということなので、ここから記事を読まずに歌詞を聞いてもらっていいです。どちらにせよ聞いてください。曲だけでも。本当にいい曲なので。
2月6日、またしても私の人生に多大な影響を与えたバンドが歴史の幕を閉じた…というより、凍結された。
経緯を考えても、メンバーから何を言われたところで、現時点で解凍される日がくる希望は正直持てない。これは良い悪いではなく、悲しいでもなく、事実としてあるものだから、私は時間をかけて受容していくしかない。
志村正彦を失った時点で、ある程度の「縛り」というか、聞こえは悪いけど「呪い」はあったと思うわけです。それは今も。ファンからの裏切らないよね?という圧、社会的な評価、色々。15周年だった2019年のタイミングで総さんが「フジファブリックは絶対解散しないバンドです」としきりにいっていた印象がある。その発言に縛られたというわけではなく、積み重なる要素から編成や在籍をそのまま凍結させざるを得なかったと思う。
泥舟を海まで漕ぎ出してから15年以上看板を守り続けた。こんなのフジファブリックじゃないと一部から非難を浴びても、責任や使命を持って、ひとつの「フロントマンを失ったロックバンド」のあり方の答えを出した。凄いことです。
ひたすら私の人生と並行する思い出話をしていきます。マジで長いし、私にしか価値がありません。
フジファブリックとは、以前も別の記事で少し話題にしたけど、詳細にいうと中学生の時にギターに興味を持ち始めて、藤くんのギターに関する情報を載せていたBUMPファンの個人サイトで紹介されているのをみて、意気揚々と曲を聞きに行き、銀河や桜の季節のイントロに面食らって大興奮したのも束の間、近々に志村の訃報が出ていたことを知る…という、あんまりいい気持ちのしない出会いだった。
悔しい思いを抱えながら、そんな偉大な兄ちゃんがおるんだったら聞かんとな、とアルバムなどを漁り出し、ますますもっと前から知りたかった!となっていた。
高校生になってアコースティックギターの弾き語りをする部活に入り、陽炎だとかを練習しまくって歌いまくっていた。先輩に「何その曲!?めっちゃいい!」といわれドヤった日もあった。ピアノを弾ける絶対音感持ちの友達にめっちゃせがんで色んな曲のフレーズを弾いてもらったりもした(最終的に、バンドも手伝ってもらった)。他の友達に無理矢理アコギをベースに見立ててベースパート弾いてもらって変なアコースティック編成で曲やったりもした。毎日銀河のカッティングをアコギで弾く変人だったので、おかげでベースを初めて持った時も違和感はなく、今も何年かおきにギターを持ってもすぐに左指の皮が厚くなる。
フジQの時はチケットの取り方さえまともに知らず何もできなかったけど、再始動の知らせを受けた頃にようやく色んなライブに行くことにも慣れて、意気揚々とツアーのチケットを取ったりした。一回一回のライブが、当時の知る世界・視野の狭い私には非日常体験で宝物だった。
代々木公園でフリーライブをしたとき、授業サボって行った。自動制御かなにかのライトが配られて曲中それを振るおもしろい試みをやっていて、フジファブリックってこれからどんどん面白くなるんだろうなって思った。もはや、出会ったばかりなのに二度と観れないと思っていたから、志村のいる・いないに対して意見はない。むしろ、志村のいた時代を追いかけながら、志村の歌を歌い続けてくれることに感謝していた。だって、ベースもギターもキーボードも結局本物の音なんだから、そりゃあ嬉しいですよ…。
専門学校時代、総さんの弾き語り出演があるライブイベントに足を運んだ時、偶然先輩に会ったりした。その日は声をかけられなかったけど後日答え合わせした時の盛り上がりったらなかった。先輩は他の演者目当てだったけど、ニッチなイベントで偶然小規模な専門学校の先輩を見つけるってすごい確率だよな。
あと、ユニコーンが急に武道館でGRAPEVINEとフジファブリックとPOLYSICSとかいう私だけが得をするメンツで対バンイベントやった時、フジファブリック枠で申し込んで最前列ドセン出たんですよね、これもマジで意味わかんなかった。奥田民生を最前で観れるという喜びもあったしフジファブリックによる自転車泥棒が聞けてうれしかった〜。
10周年の武道館ではプレミアムシートで近いところから観たけど、1曲目の桜の季節で涙ぐむ総さんに感化されて私も涙が止まらなかった。志村の声も聞けてずっと泣きっぱなしで、でも幸せなライブだった。
社会人になってからは、新譜をチェックしたり聞き続けるものの、自分自身の大切なものが増え、仕事にかけなければいけない時間が増え、いろんな趣味を並行して継続しており、ライブに行く頻度は減ってしまった。それでも7月10日と12月24日には志村正彦のことを必ず思い出している。今も、多分これからもずっと。
そういえばアコースティックライブでTOKIOのLOVE YOU ONLYとか激レアカバー聞けたの嬉しかったな。その後、その事務所の私の推し(いのはらくん)と総さんでコンタクトを取り楽曲提供したの、マジ「収束」って感じだった。
4年音楽事務所で働いていて、某ミュージシャンと私は仕事をしていたのだけど、総さんがその人のことを度々リスペクトしている旨をインタビューなどで発言している事や、とある曲のとある部分でオマージュされていることも知ったので、私はめっちゃ、フジファブリックってバンドがいて・・・!などとそのお方にアピールしていた。詳細は省くけど最終的に共演の形に至った。
総さん、私、実は見えないところで頑張ってたんだぜ〜!!!👈別にお前の功績ではないです(詳細はやはり省きますが、私に関係なく必然的なタイミングだったと思われます)
あと一緒に働いてたローディーバイトの男の子が同い年で、私とかなり近しい趣味、具体的にはピロウズとフジファブリック好きっていうのでよく喋っていて。日比谷野音までスタッフ仕事で行った時とか、ふたりで「ヤバい、フジファブリックのDVDで見た景色じゃん」つってた。楽屋とか、ステージから見える客席の風景とか、演者側の視点を味わえたのが凄くいい思い出。
近くて遠いところにいながら、私は普通にフジファブリックのライブに行って、終演後のハイタッチ会とか参加してたの、本当に面白いな。
しかしバンドと近すぎた分アイドルにハマったりもして。(それはそれで、私にとってとても大切なのですが)ライブに行く頻度がさらに落ちた分、また一回一回が特別になった。
15周年の大阪城ホールも行った。前乗りして梅田ロフトでやっていた展示も見に行った。赤黄色の金木犀とか聞けたよね?俺たちがガンダムだみたいに俺たちがフジファブリックだ!みたいな事いうの、面白すぎるんだよな(もしかしたらこの発言は別ライブの可能性あり。記憶危し。)
2020年ごろ、私は音楽事務所を辞めた。2021年からはDTPとデザイナー業に転職して、もっと目まぐるしい毎日がはじまった。ますます色んな趣味ができなくなっていき、現在進行形で責任ばかり増えていく。
転職前、コロナ禍直前にI FAB Uツアーの横浜公演を観に行けたことが幸運だった。そして、それ以来まったくといっていいほど現場には行けなかった。行ったか?ちょっと、覚えていない。FABchのチェックイン機能、そんなつかってなかったし…。少なくとも21年はV6解散があり、その後はテニミュの再燃で舞台に行きまくっていたはず。
そして、活動休止の知らせを受けて、後悔したくねえ〜と思いながら夏秋は何もできず、最後の単独だけでもとなんとかチケットが当選し、見届けて、今に至ります。
しらせを受けたあの時、かなり気持ちが凪いでいた。
ずいぶんと事情が理解できてしまったから。
続けたいと願う側の気持ちも、離れたいと思う側の気持ちも理解できた。
デビューから5年バンド続けて、フロントマンが急に消えて、そこから15年、志村が生きていれば当たり前に訪れていたかもしれない脱退・解散を選べない環境だったはず。求められていたことや使命感に追われたのは要するに「残された要素の維持」だったろうから。
維持しつつも進化しなきゃいけない難しい環境で彼らは努力を怠らなかったと思う。ボーカル、音作り、演奏技術、作詞の幅の進化は確実にあるし、ダンスも踊るし(笑)、志村の曲を歌い続けるということも、茜色の夕日だけは志村以外に歌わせないということも、何を言われても貫くべき思想がしっかりあった。
いまは理解に自分の感情が追いついて、ちゃんと悲しさと寂しさを覚えている。
これから3人が前を向いてそれぞれの道をポジティブに歩いても、きっとフジファブリックのファンである私は後ろを向いて暗い気持ちを抱え続けると思う。3人の姿を受けて自分も前を向くか!と思えても、その後いくらでも悲しみを反復するし、置き去りになるんだと思う。それもいい。最初の方でも言ったけど時間をかけて受容していくものだから。
肝心のライブの感想なんだけど、日々上手くなり続けるライブの現段階での集大成を観れたなと思った。フジファブリックの集大成ではなく、ライブのベストを観ている気分。なんかV6の解散コンサート見てる時と同じ気持ちになった。特別な意味を持ってしまうのは仕方ないけど、ライブ自体や選曲に特別をたくさん込めてるわけではない。かなりいつも通りのハッピーな印象。
唯一志村の曲をやらなかったのは、なんか言わんとすることはわかる。私がメンバーだったらって考えても、できない。なんか、それをやっちゃうと趣旨変わってきちゃいそうだから。同じ理由でスワンやECHO(特に後者)もやらなかったんじゃないかなってちょっと思う。
3人が選んだことに対して関与してない志村を巻き込んで強制しんみりエンディングにする必要はないですよね。3人の責任というか意志の強さをちょっと感じました。ちゃんと最後にメンバー紹介もしたし、感謝も述べてたし当然いないことにしてるわけじゃない。
フジファブリックってなんかさ、揺らがない部分があるよな。特に志村ごとに関しては…。聞けなかったのは寂しいけども、フジファブリックという家がなくならないのであれば、総さんは歌い続けてくれるんじゃないかなって思っている。
ラストに再始動時のアルバム表題曲だった「STAR」もってくるの、かなり思想だった。アンコールで「破顔」、最後の最後に「春の雪」が流れたのも。お気遣いありがとうね。ガチで泣いたからな、覚えとけよな…
終演後の止まない拍手をいつまでも聞いていたかった。
原宿駅で真夜中に号泣して山手線に乗るヤバい成人女性が誕生してしまったけどもうしょうがないよね。
そういえば、関係者からの祝い花に元メンバーの足立さんのお花もあった。節目にはかならずお花を贈ってくれている気がする。ロフトのお花もあった。泣かせないで〜〜〜
各メンバーにどういうことを思ってきたのかとかをまとめてみる。
総さんの作曲の真骨頂ってバラード系なのかなって思うけど、まずギターがとにかく巧いわけですよ。私のギターヒーローなんすよ。ワウとスライドバー(ボトルネック)は随一だし、カントリー系にも強いし、個性があるけど技量でボーカルの邪魔をしない。探究心・好奇心で楽しみながら進化している人だとも思う。なんかもう、ずっとギタリストのロールモデルなんですよ私にとっての。自分自身はギターボーカルなのでどちらかといえば志村や他のバンドで言えば藤くんとかのスタイルを参考にはするんだけど、憧れ・ヒーローなら総さんやアベフトシになってくるんすよ。結局自分はレスポールが一番好きなんだけど、そのスタイルの確立に至るまでに色々吸収させてもらったし、ストラトの良さを教わったのは間違いなく総さん。歌をメインにやってこなかった中でフロントマンとして矢面に立ったその覚悟も、努力を重ねて歌心がどんどんついてきて上達していく姿も、本当に尊敬しています。どうかロックもバラードもアコースティックも、やめることなく歌い続けてほしい。楽曲提供の方面でも活躍しているけど、総さんの声が聞きたい。
かとをさんは…見た目がずっと変わらなくてすごすぎる!のは置いといて、おしゃべりがうまくてユーモアを持っていて言葉の一つ一つ丸みがあって、志村に近いようでもうちょっとまろやかな歌詞を書くような人なんだなって思っていた。好きな曲を思い返すと、かとをさん作詞が結構多い。ねえ、志村はこの才能知ってたんか!?とさえ思う。共作とかどんどんしてほしかったよね。すべてにおいて潤滑剤のごとし、穏やかな職人。総さんの相談うけてたみたいだし(総さんのムック本にそういう話あったよな?)活休に際しても中立の立場(実際そうなんだと思うけど…)からファンを安心させようと色々気を遣ってくれると感じた。あなた様がいなかったら、志村時代からバンドの安定は難しかったのではないかという気がしなくもない。不変の安心感がありながらも静かに進化を遂げてサラッとコントラバス触ってたりする。あとなんか怪談とかしてるし。スっと入ってくるよね、話が。今後どうするのか一番気になっています。曲作ってほしいなあ。
チャンダイ、意外にも私にとってかなり影響を与えています。蝶ネクタイもマネしたし、何よりも私にキーボード編成のロックバンドの魅力を教えてくれた。ショルキーやアコースティック編成でのピアニカ、暴れながらソロを弾くさま。ピアノってこんなかっこよくて激しくていいんだ!上に乗って足で弾いてもいいんだ!?いろんな音が出てスゲー!2台も3台も同時に弾いていいんだ!エフェクターつなげていいんだ!小学校から使ってた楽器があんな味のある音するんだ!ショルキーって何!ギターみたいにしていんだ!カッケ〜!と私の機材方面の男児的なロマンはすべてチャンダイ経由で得たものです。知らない世界だったからね。ギターよりずっと拡張性があるし…。ピアノってコードで弾くの私はかなりギターよりハードル高いと思ってるんですけど、キーボードソロの単音のメロディなら私でもなんか感覚で弾けるし、楽しさを知りました。虹とか銀河とか、電子オルガンの音に切り替えてパパーッパパーッて単音でリズムを刻むの気持ちいい。そして私は何よりチャンダイの作曲が好き。多幸感のあるピアノ、切ないシンセ、全部感情に訴えてきて、いわゆる「エモい」とはこのことでしょう。大きな懐で志村のイジリを受け止めたり、進行を支えたり、すこし俯瞰の立場から精神的支柱でいてくれた存在なんじゃないかな、と推察している。だから、チャンダイが「やり切りたい」という意思表示ができた事は、決して悪いことではないとも思うわけです。お願いなので、まだまだたくさん曲作ってほしい。
志村。志村は、わかんない。知った時にはいなくなってたから、具体的にどうこう思い出がない。でも志村の曲に衝撃を受けたことが出会いなのは間違いがないし、軌跡を辿るほどに惜しまれた才能と人となり、愛嬌を実感していった。もうあなたの年を私は…いやこの話はやめときます。今生きてたらどんな曲を書くんだろう。志村のこだわりが大きくなっていたならば、なんかもう、本当にMUSIC出して5周年を乗り切った後、とっくにフジファブリックは解散していてもおかしくない気はする。あれから15年、オリジナルメンバーで駆け抜けた姿を見て、何を思うんだろう。確かめる術もない。今確かに言えるのは、あなたの曲が多くの人に愛されて、たくさん歌われているということ。
フジファブリックへ
15年間私の人生に寄り添ってくれてありがとう。
これからもよろしくお願いします。
とにかく健康で幸せでいてください。あわよくば完全復活する日がこなかったとしても、節目に一夜だけの復活とかしてもらえるとかなり助かる。看板が残ったからこそズルできることいっぱいあるんで!一緒にお祭りしたいよ。
最後に変な曲で変なダンスする30代(当時)成人男性バンドマンの姿を見たいと思います。
おもろすぎる。
私がもし、「愛してるよ」という陳腐なメッセージを真顔で言えるのだとしたら、それは「フジファブリックの4人に」捧げたいと思います。愛してるよ〜!
追記:やっぱ足立さんもいれた5人に言いたいな?1stにめちゃくちゃお世話になったから!愛してるよ〜!
たくさんのこれからを待っている事にしたんだ
書きかけの手紙だけどそのままを送り出すよ